俳句の勧め     茨専 機械 2期 綿引 明

 昨今の俳句の隆盛は御存知の方も多いと思う。
高齢化の進んだ現在、ボケ、いや認知症の予防を目的にさまざまな取り組みが世の中に
あふれている。
 いわく、百ます計算、音読の勧め、クイズ、漢字検定などなど。各種のカルチャーセンターも
花盛りである。

 そうして俳句もその一つに数えられているのではないだろうか。
 かく申す私も、定年後の暮らしと言うか日々の過ごし方を定年五年前から考えていたのであるが、
偶々、友人から誘われ、これ幸いと五十六歳から俳句を始めたのである。

 俳句なんて簡単なもの、教科書でも習ったし、言葉遊びのようなもの、と思って飛びついたのである。
 事実、最初の頃は適当に作っても何となく様にはなっていたのである。

 奥の深さを感じたのは五年ぐらい経ってからである。だからと言って上達した訳ではない。
 様々な句を知るにつけ自分の力量不足を痛感して句がなかなか出来なくなっただけである。
 十年を経た今でも、である。

 ただ、結社に入っているので毎月十句位は無理やり搾り出してはいる。

 然しながら吟行や句会は楽しい。特に、自分と価値観を共有できる、
気の合った人々との交流は楽しいものである。これは俳句に限らないとは思うが。

 俳句に関して言えば、日本人であれば誰にでも簡単に作れると断言する。
 よく言われることではあるが、四季のはっきりした日本では人々は季節に敏感であり、
五七五のリズムは日本人の遺伝子に組み込まれているからである。
 世の人の絶賛するような名句は無理としても、自分の気持ちに忠実であれば結構いい句が
出来るものである。ただ、自分の気持ちに忠実と言うのが難しく、どうしても飾って仕舞いがちに
なる。
 この克服は、その気になって努力しなければ何年経っても出来ず、私も抜け出したいと
思っていながら未だ抜け出し切れていない。
 もっとも、克服を考えている人は小数で、ほとんどの人は言葉遊びに徹しているようであるから、
そんなに深刻に考える必要はないとは思う。

 と言う訳で高尚?な言葉遊びをお勧めする次第である。

 最後に、現在では見られない凄まじい、魂から迸り出たような句を掲げる。

 

 鈴木しづ子(大正八年・東京神田生れ)

  ダンサーになろか凍夜の駅間歩く

  黒人と踊る手さきやさくら散る

  娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ

  肉感に浸りひたるや熟れ石榴

  まぐわひのしづかなるあめ居とりまく

  花の夜や異国の兵と指睦び

  菊白し得たる代償ふところに

  夏みかん酸つぱしいまさら純潔など

  薊吹き死期が近づく筆の冴え

  よそながらまみゆることや薊の葉

 宇多喜代子著「女性俳人の系譜」より

 

 誰にでも作れる句ではないし、これを絶賛する訳ではないが圧倒される。

「性愛俳句、特異な俳人、こう呼ばれることの多い鈴木しづ子にとって、俳句は境涯の独白の
入れ物であり、思いのたけを語り合う相手だったのです。鈴木しづ子もまた、
戦争の犠牲者であったのです。」と宇多喜代子氏は述べており、それに比べれば
今の俳句のなんと甘っちょろい、いや、平和的で結構なことと思っている次第である。

 ついでに私の最近の拙い句を披露する。

  ・不意に点く自動照明かはづ(蛙)の夜
 ・逡巡は穴を出るまで蟻の貌(かお)

           ・二人静四十年を歩み来し
                  

  ・立浪草今日は海へ行ってみようか

         ・麦畑アリスは消えた穴の中
         

 
 次回は茨専 機械1期の 荒木浩二さんにお願いします。