サガルマータ トレッキングの思い出  
           
     
茨専2期 電気
2組  遠藤 桓

 

 僕はどちらかと言うと無神論者で、天地創造は確率論、動物世界の生存本能だけと思ってきた。
でも本能とは何か、このエベレスト麓のカラパタール、5545m地点から見た宇宙を見て、想像の付かない程の衝撃的印象を受けた。

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年位前、日本画家、福王寺法林はここの空気を表すため、極寒のエベレストを望む地点に、ヘリコプターをチャーターして何度も挑みこのカラパタールに降り立ちモルゲンロートの清んだ一瞬を脳裏に刻ん
だ時の思いはどんなだっただろうか?
そして薬師寺にある平山郁夫のエベレスト壁画を思い出した。

とてもインパクトな情景だった。

 

平成17116日、6人ツアーで旅立った。
バンコクからベンガル湾越しにジャンボ機から望む大ヒマラヤ山脈の、直ぐに判る世界一のエベレストを拝み、また、カトマンズからルクラまでの軽飛行機操縦席から激しく揺られるなか、雪煙をたなびかせ、厳然とたたずむ彼を見た。

 和気藹々、しかも礼儀正しいシェルパ、ポータそれにゾッキョ共々、総勢20名がエベレスト街道のルクラ(2260m)を鼻歌混じりで出発。荷物は総てポータ任せ。シェルパ族のナムチェバザール(350m)、チベット仏教僧院のパンボチェ(3900m)、嘗てヒラリーに同行したテンジン息子が経営するロッジ(記念品多数展示)を経由しロブジェ(4930m)に8日目夕刻着。

 もう草木のない荒涼とした世界。翌日の登頂をめざして各国からのトレッカーが寒い中ゆっくり深呼吸を繰り返す。日に日に血中酸素濃度が低下し、翌日の登頂を周りが心配して、深呼吸しろ、お茶を飲め、いっぱい食べろ、暖かくしろと励ましてくれる。
確かに既に二人が高山病でリタイア、一人は途中から救急ヘリでカトマンズ迄降りた。
何とか
4名は頂上迄登って欲しい、との思いが伝わってくる。前日はゴラクシェプで若い韓国女性が亡くなった。
がんばらなくっちゃー。湯タンポ代わりの水筒をテントの寝袋に突っ込んで
3枚も重ねた羽毛寝袋から起き出してのオシッコ4回は大変だった。

 

 3時起床、4時出発。気合を入れ、しかも黙々と暗闇の岩だらけの氷河沿いを3時間。前進基地とも言えるゴラクシェプのロッジに7時着。

 日本から持って来た日章旗を前に皆で記念撮影。アタックは二人以上は無理で僕と61歳(最若者)の山口君が最後のアタック?。先発の山口君にシェルパ頭のミンマ氏が、間に日本からのガイド氏、それに私をガードしてくれるシェルパ、計5人で7時半出発。ここから見れば何の変哲もない、すぐそこの400m。でも5140m地点だ。頂上での万歳姿がビデオ越しに見える。蛇行する路をただ夢遊病者のように。時だけが結果を招く。でも本当に参った。西山荘での座禅を思い出し、ゆっくり、ゆっくり(ビスターリ)50歩迄数え1分休む。何度繰り返した事か。高くなるに従い風が強く、眼下の至る所に周囲の高い山を従えた氷河が見えてくる。紺碧の空、黒い岩、純白の雪、水墨画の世界だ。

 2時間半、10時にカラパタール(黒い岩)頂上。あくまでも澄み切った空、岩陰に身を寄せ、寒風のなか、40分も待たされた。「早く日章旗前で記念撮影し降りよう昼食に間に合わなくなる、」とせかす。
「待て、待てビデオ、カメラに時間がかかる」、と撮りながら返事。そして「ではごゆっくり」と下山していった。
お陰でゆっくりできた。 

 現在小生が住んでいる勝田の展望台から10km先を望む日研の建物は米粒だが、横縞を帯び、奥の院に収まったサガルマータはデンと三角錐で君臨するまさに世界一の岩塊。幼い頃からの憧れが遂に。気が付くと先程の賑わい無く、誰一人居ない(シェルパのみ)。最後だ。

 

 感傷の間も無く、下山。僕は食べなくても一緒のシェルパには。一目散に駆け下りた。ロッジ昼食には間に合ったが、疲れて食欲なし。もう酸素濃度、水補給もヘッタクレもない。全く口に出来なかった。残り二人は症状思わしくなく、ロープで体を後からガードされ、ポータに横から支えられての千鳥足下山。結局、翌日二人とも救急ヘリで我々の頭上越えにカトマンズ迄アットいう間に飛んで行った。

 街道、軍隊にガードされた馬上のネパール国王に握手。治安対策に力を入れているものの、ルクラでのシエルパ達とのお別れパーテイでは準戒厳令下で夜間外出禁止、ホテルでの歌声禁止で、静かなパーティとなってしまった。振舞った地元のウイスキーを大ベテランのミンマ氏が有難く美味しそうに仲間と飲んでいたのが印象的。私は旅行では同じところには行かない主義だが、ネパールはタイ以上に安く(最貧国のひとつ)親切で、また是非行きたいと思っている。
でも治安が心配の種。帰ってビデオ編集に精を出しているが、思うように行かず焦っている今日この頃である。

                           (平成18210日原稿受付)