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リレー随筆

リレー随筆 第1号

わたしの定年後の歩み(のらくろ親父奮闘記)のこと
石原政男(金属1期) 2004/10/9
                                                         

会員相互の暮らしぶりや奮闘ぶりをHPを通して、情報交換して相互に啓蒙、刺激を受け、
定年後の第二の人生の生き方に参考させていただきたいと念願していたところ、「リレー随筆」
欄が新設されました。その第一号の執筆を命じされました。光栄です。

わたしは茨専創立時期に学院にお世話になり、定年後も日工専同窓会の常任理事として、
5年間、同窓会本部活動の助言などに関与させていただきました。また特別会員支部の幹事とし
ても参加させていただいております。

古稀を過ぎ、高齢化時代の真っ只中におりますが、幸い健康にはめぐまれて毎日を楽しく、充実して
すごさせていただいております。

ちょうど生まれたのが昭和9年の戌年ということで、自分の生活ぶりを
HP「のらくろ親父奮闘記」=http://www9.plala.or.jp/norakuro-oyaji/にまとめて公開させていただきました。
未熟な内容ではずかしいのですが、観ていただければうれしくおもいます。

今年の12月12日のホノルルマラソンは11回目の完走をめざしております。
いつか、同窓会諸氏とハワイでマラソンとゴルフと同窓会
in HAWAIIができればと夢見ております。

次回は同じ常任理事でご指導いただいている浅沼伴自さんにお願いいたします。




リレー随筆第2号

ボランティア活動について

管理工学科 1期卒業
浅沼 伴自

私が地域でボランティア活動を初めてから30年経ちました。
ボランティア活動の最初のきっかけは町内会から横浜市青少年指導員を仰せつかったことでした。

青少年指導員活動は、他の自治会・町内会から委嘱を受けた仲間たちと地域の小中学生を対象とした文化活動を企画して定期的に行事を行なうものです。


私は少年の頃から野球が大好きで、小学生の時から父親が読んでいた「中部日本新聞」のプロ野球欄を毎日読ませてもらっていました。

その頃はまだテレビがなくNHKのラジオ放送だけでしたので、学校から帰るとプロ野球の実況放送を聞くことが唯一つの楽しみでした。

こんな環境で育ちましたので野球をはじめ各種のスポーツをする事の楽しみが私の趣味になりました。 

こんな背景もあり、町内の子供会育成会から少年野球チームを作るので指導を手伝ってもらいたいと依頼されました。
子供の頃の気持ちに戻って少年たちと一緒に野球をすることは、毎日の厳しいビジネスを忘れる一時でもあると思い引き受けました。

少年野球でも青少年に「勝つこと」「目標を持つこと」「仲間を大切にすること」「先輩後 輩の間柄」「礼儀」等を教えて行かねばならなりません。
 
最初に所属したのは、戸塚区少年野球連盟です。経験豊かな監督や地域の実力者等の協力を得て、昭和55年に豊田地区少年野球協会を設立し現在に至っています。
 
 私は,今3代目の会長として小学校、ライオンズクラブ、体育 協 会などの支援を得なが ら日本を担う青少年を育成に邁進しております。。
 勿論、グランドは監督たちに好きなようにやってもらえば良いと言ってあるので一切口 を挟まないことにしています。
 毎月
1回の定例会に出席して私たちの責務をきちんと徹底しています。

写真は第28回栄区民ソフトボール大会
シニア男子決勝大会にて優勝旗を渡している 浅沼


次に栄区ソフトボール協会のことですが、栄区は横浜市戸塚区から昭和61年に分区しました。
その戸塚区ソフトボール協会の役員に地区から推薦されていました。
栄区に分区と同時に協会の運営を手伝い、日本ソフトボール協会の公認審判員として試合の進行にも携わって来まし
た。

成人男女の属する協会ですから一番大変なことは人間関係です。
ボランティア活動は殆ど報償がありません。交通費、交際費、服装費、審判用具などの出費は自分が負担します。
このことはソフトボール協会だけ例外ではありません。
どのボランティア団体も活動者個人が労務提供と費用を負担しています。

人間関係は会社組織のように「縦」でなく「横」です。上下の人間関係があっては巧く行きません。
正しい言動、
前向きの考え方、公平な判断、責務を果たすことがリーダーとしての必要条件です。

例えばある役員が会議に出席しなくても責めることは出来ません。なぜなら報償を支払っていないからです。
でも何かできることをお願いして仲間として協力し合える態勢を維持して行かねばなりません。

小学校の施設開放の役員としても活動をしております。
横浜市教育委員会は地域の文化・スポーツ活動に学校の体育館、グランド、更に音楽室、図書室、プールなどを
開放しています。

近くの小菅ヶ谷小学校は校舎できる30年前から少年野球でグランドを利用させていただいた関係もあって開放委員会の運営を担当しております。

この活動は12団体ありますが、各団体の活動については、全く関与しておりません。 それぞれの団体は責任者の
考えで自由に活動できるようになっています。ボランティアの原点は「自分の出来ることを、自分の責任で一般市民
のために継続して行ない、報償を求めない活動の中で仲間と楽しく過ごすと」ではないかと思っています。
 
皆様方の中に、ボランティア活動で何かご指導いただけるご意見がありましたら、是非お願い致します。

                                               以上
 
 次は日工専同窓会 特別会員支部 役員であります 中田益男 さんにお願い致します。


リレー随筆第3号 

 私の健康マラソン

  5期機械  中田益男

趣味のマラソンを私が始めてから、丸10年を過ぎました。この間に完走したフルマラソンは20回を数え、
ハーフや
10キロに参加した大会を含めると80回以上になるかと思います。
そろそろ大会記録や思い出の写真などを整理したいと考えているところです。

  何故マラソンをしたのか?

「よく走れますね」

「毎日、どのくらい練習しているの」と、周囲の人たちから聞かれることがあります。
これに対して、「やあ、月に
3、4回くらいですよ」と私が答えますと、相手の方はびっくりしたり、
その程度でしたら自分も走れるようだと納得したりします。
また、同期での懇親会などでは、「
60を過ぎて、あまり無理しないほうがいいぞ」と
私の身体のことを心配してくれる友人もいます。
本当にありがたいことだと思います。

 ところで、現役の会社勤めを退いてから2年になろうとしています。マラソンの記録はどんどん落ちるばかり、
そして走った後の疲れ具合は、数年前と大きく変わっています。
マラソンの練習や大会参加の回数は増えているのですが、体力を維持していくのはやっぱり大変なことだと、
大会に出るたび身をもって感じている状況です。

 さて、私がマラソンを始めた理由は、二つあると思います。50歳を前にして、
日立工場から勝田工場へ転勤になり、工場内には知人、友人がほとんどいませんでした。
従って、マラソンの練習や大会を通じて多くの仲間を作りたかったのです。
幸いに当時は工場内を走る四工場マラソンがあり、転勤した翌年から参加しました。
即ち、仕事の付き合いとは別に友達がほしかったのです。

 もう一つは、中年太りを解消したかったこともあります。
しかし、練習したからといって
23年間の体重はそれほど変わりませんでした。
反省会の飲み食いが多かったのかも知れません。
仲間たちに恵まれ、努力の結果?この
10年間では8キロ減を達成できました。
血圧数値も正常を継続しています。

  思い出の大会参加

 最初のフルマラソンは、199512月のハワイ・ホノルルマラソンでした。
それまでに参加した大会と言えば、勝田の工場内マラソンと勝田マラソンの
10キロであり、
フルマラソンの自信はとてもありませんでした。

『ホノルルに参加しよう』と決断したのは、同好会の中に
60歳定年で退職されたMさんがおり、
『定年退職の記念にホノルルで初マラソンに挑戦』となり、ご一緒しました。
Mさんご夫妻、小生の妻との
4人で参加、30度を超える気温、参加者32000人という大規模なマラソン大会でしたが、
無事に完走でき満足でした。
タイムの方は?と言いますと
5時間36分、不満足を大きく超えた中満足と言ったところです。

 2回目は、19962月の勝田マラソン、予想を超えた4時間28分という好タイムで完走できました。
その年の
5月、カナダバンクーバーマラソンにMさんと参加、自己記録の更新ができました。なんと4時間01分で、
これは私にとって大満足の結果となったのです。
カナダへは、HTBのマラソンツアーによる参加であり、約
50人の日本人仲間が一緒でしたから、とても安心でした。
マラソン前日までの一週間は、ナイアガラの滝、バンフ、ロッキー山脈の氷河などカナダの観光を楽しみました。
完走パーテーでアドバイスいただいた横浜のKさんとは友人関係が続いています。

 そして、この10年間に海外ではオーストラリアのゴールドコースト、シドニー、国内では霞ヶ浦、つくば、
青島などであり、昨年
12月は沖縄のNAHAマラソンに参加できました。
那覇市の運動公園をスタートして平和記念公園を折り返すコースです。関門が
3箇所あり、
その関門を時間内にパスできるかどうか、ちょっと心配でした。
後半は小雨や海からの風に苦労しましたが、
5時間27分というまずまずの結果でした。
翌日は日立マテリアル勤務時代に笠戸工場経由で部品の納入をしました「沖縄モノレール」に乗車、
良い思い出となりました。

 

  マラソンの夢を実現したい

 さて、これからのマラソン、いやジョギングと言った方が正しいかと思いますが、
私の目標と夢を紹介させていただきます。

 先ずは、定期的な練習を月3回以上実行したいと思います。おかげさまで、
勝田工場時代の走る仲間が
5人ほどおり心強いです。
そして、
2番目にフルマラソンは年に1〜2回、県外への大会参加時は、周辺の観光も含めて23泊する。
できれば年に
1度は海外マラソンツアーに参加したいとも考えています。
もちろん、タイムは余り気にせず『マラソンを楽しむ』事を重点に走ります。

 更に、これは是非実現したいと思っている夢ですが70歳になってもフルマラソンを走る、
80歳を過ぎても10キロを走れる体力と健康を維持していきたいと思っています。
幸いにして日工専同窓会の先輩であるIさんは、古希を過ぎて海外のフルマラソンを走っています。
元気と勇気をいただき私の大きな目標とさせていただきます。
ここまで読んでいただいた方、ありがとうございました。

次回は茨専 2期機械の 綿引明さんにお願いします。