小さな出発

内山 正夫  茨専X期機械

 スープの冷めぬ距離に住んでいる3歳の男孫が、今春、幼稚園の年少組に入園することになった。
 子供が娘3人の私にとっては外孫である。 彼は小さい時から毎日のように我が家に出入りしており、
男の子ゆえのやんちゃ振りも珍しく、すっかり入れ込んでしまっている。
 我が家前から幼稚園バスで送迎してもらうことになったが、その初日、果たしてスムーズにバスに
乗ってくれるかが先ず一つの心配であった。
 胸に名札を付け、幼稚園のかばんを肩から提げて、両親や祖父母とバスを待った。バスが予定の
時間に到着した。すでに一人の女の子が後部座席に座っていた。ドアが開き、女性添乗員が降りてきた。
 孫は一瞬たじろぎ、一、二歩後退したが、祖母に後押しされてバスに乗り、バイバイをして出発した。
 私は手を振って見送りながら、ある感激で熱いものがこみ上げるのを抑えきれなかった。

 短時間ではあるが、彼の人生で初めて両親や祖父母から離れて、一人で、今までとは違う環境で
過ごす。それは、彼にとって記念すべき実社会への第一歩を踏み出したのだと思う。

 帰宅後、たまたま居合わせた従姉妹達に、高揚した声で、饒舌に、意味は余りわからなかったが、
幼稚園の様子を彼なりに精一杯話して聞かせていた。

 二日目、昨日はスムーズにバスに乗り込んだから、今日は大丈夫だろうと思っていたら、迎えのバスが
来ても『幼稚園に行きたくない』と泣き叫んで逃げてしまった。女性添乗員が飛び出してきて、抱き
かかえてバスに乗せようとしたが、身内の立場としてとても可愛そうになり、『後で送って行きますから』と
いうことになった。
 祖母が孫を自家用車で幼稚園に送り届けたが、昇降口で上履きに履き替えても大きな声で泣き叫ぶ
ばかり。担任の先生が抱きかかえたが、それでも泣くことを止めようとしなかった。すると主任の先生が
『幼稚園に預けたからには先生方にまかせて下さい。おばあちゃん、心を鬼にして帰って下さい』と
言われた。また『泣いてもバスに乗れば、しばらくすると落ち着くから大丈夫。泣いてもバスに乗せて
下さい』とのことであった。
 祖母は先生方の心強い言葉を頂き、孫の泣き叫ぶ声を振り切って、後ろ髪を引かれる思いで幼稚園を
あとにした。
 彼が帰宅しての第一声が『幼稚園、楽しかった・・・・』ということで、先ずはホッと一安心した。

 三日目、今日は先生の助言を実行して、泣いたが強引にバスに乗せた。ただ、その後どうなったか
不安で、自家用車で子どもを幼稚園に送迎している近所のお母さんに頼んで、様子を聞いて来てもらう
ことにした。そのお母さんの話によると、『幼稚園に着くまで泣いていた』とのこと。不憫でならなかった
が、孫にとっても見守る側にとっても、あと少しの辛抱・・・・・であろう。
 帰宅した彼の第一声が『あした幼稚園に行く・・・・・』であった。−−−明日になればどうなることか
分からないが・・・・・・。

 四日目、{今日は・・・もしかして}と期待したが、抱いてバスに乗せようとする父親の手をふりほどこうと
して泣き喚いた。しかし、バスに乗り座席に座ると、やや泣き止んだ顔に見えたので少しほっとして送り
出した。

 五日目、今朝は何とも機嫌よく来宅した。昨夜も自宅で『幼稚園に行きたくない・・・』という言葉は全く
聞かれなかったとのこと。胸章も付け、かばんも機嫌よく持った。バスが来ると多少、躊躇する気配も
みせたが、元気にバスに乗り、父母達にむかってバイバイの挨拶をして出かけて行った。
 {良かった。本当に良かった。やっと機嫌よく、元気に出かけられるようになった}という安堵感を覚える
とともに、{一つのことが終わった}という心の空白感を感じた。

 {この一週間でこんなに成長したのだ}と思う。泣き喚きながらも、与えられた環境に何とか順応しようと
する本人の本能的な努力に大きな拍手を送ろう。
 また、{幼稚園はこんなに楽しいところだよ}と教えて戴いている先生方や関係者そして新しい友達に
感謝の気持ちで一杯である。

 次の週からは幼稚園へ行くことが楽しくて仕方がなくなった。土曜日など幼稚園が休みであっても
『幼稚園へ行く・・・』という。何という変りようだろうか。
 まだ、1ケ月も経過していないが、幼稚園で教わったバスの中で歌う歌や上着のたたみ方などを披露
してみんなを喜ばせている。

 たかだか、幼い子どもの幼稚園初登園の話だが、幼い子どもにとっては未体験の不安一杯の門出で
あったことは間違いない。
 還暦をとっくに終え、古希が間ぢかに近づいている年齢になっても、人生初めての経験をすることは
数え切れない。そんな時、口や表情に出さないにしても、何らかの不安を覚えることは否定できない。

 これからは幾多の人生の荒波にもまれることと思うが、何事にも前向きに挑戦する気持ちを
忘れないで頑張ってもらいたいと思う。