「エレベーター・ワールド社再訪記」  松本 勝(茨専V期電気)

New York Yankee Stadium(旧)にて筆者 
(日立製作所・HBS・日立ブレーンOB)

はじめに

引退して4年目を迎えた昨年年3月のある日、今は役員になっている某氏から、突然、
電話が架かってきた。
用件は、電話では失礼なので月末の都合のいい日に是非ご足労願いたい
とのことであった。話の内容を要約すれば、おおよそこんな具合だった。

将来有望な若手の部長及び課長3名を、研修をかねて米国へ派遣する計画があり、ついては、この派遣団の顧問役として同行して頂けないか 

小生が出来ることには相談には乗るが、同行者は現役の幹部から選ぶのが会社組織としては筋であり、私ごとき引退した老兵がしゃしゃり出るのはまずい。
同行は勘弁願いたい。と申し出た。

おっしゃる通りだが、今回は第一回の計画でもあり、米国出張の経験のある貴殿に
すべて一任するため行き先も訪問先もまだ決めていない状態にある。
是非、引き受けて欲しい。第二回目以降からは現役組で対応したい。
と食い下がってきた。

長年お世話になった元の会社への恩返しと、熱心に勧めてくれるこの役員のこともあって、熟慮の末、本件を引き受けることにした。

 

準備段階

米国への出張日程は1週間から10日間以内という限られた期間が予め設定されて
いたので、いかに効率的・効果的にスケジュールを組み、初期の目的を達成出来るかに
ついて打ち合わせを積み重ねた。
訪問先の決定、アポイントメントの取得状況、ルート設定、フライト状況等を考慮して、
おおよその日程を組んだ。最終的には、訪問先
5箇所に加えて、最終訪問地の
New York City
を含めた6州を、正味1週間で駆け巡る超強行スケジュールとなった。
期間は
6月22日出発、7月1日帰国と決まった。

その中には、私が嘗て訪問した、Alabama州の Mobileにその本社を置く、
エレベーター・ワールド社、(
Elevator World Inc.)と Georgia Atlantaに本部を置く、
米国昇降機業者協会、
NAEC (National Association of Elevator Contractors)が含むことにした。

 

エレベーター・ワールド社、Elevator World Inc,

世界の昇降機業界月刊誌「Elevator World」の発行会社がElevator World Inc.で、本社は
米国深南部アラバマ州のモービル市にある。「日本エレベーター協会」(
Japan Elevator Association)の会員会社を初め所轄官庁、昇降機関連機関、関係者が、
この英文国際業界誌を購読している。
周知の通り、インド経済の好調に引っ張られて、インドの昇降機事業にも注目が集まり、
最近、同社から「
Elevator World India」と言う、季刊姉妹誌が発行された。

 写真はクリックすると拡大します。  
説明(左上から右下の順です)
@ E.W.Iの本社(木造2階建)前にて筆者     
A 社長室に於ける情報交換会「右から」      

O課長・編集長・社長・K部長・J P氏&筆者
B 交換会後全員写真「左から」            
K課長・J P氏・O課長・編集長・社長・K部長&筆者
C レストラン(民家改造)にて懇親「左から」     
副社長・社長ほかBと同じ顔ぶれ
D シカゴ市街「シカゴ トリビューン社があった」  
E ニューヨーク「Ground Zero」           

人物紹介
社長:Ricia Hendrick
副社長:T.Bruce Macannon
編集長:Robert Caporale
日立/HBSコンサルタント:Jerry Pbilpot
HBS:梶原部長・河原課長・小野塚課長
 

私はアトランタ・オリンピックが開催された1996年の718日から19日の2日間、
同社を訪問し、日米PL法、昇降機事故訴訟問題、安全教育、危機管理の問題等について
情報交換を行った。
当時、情報交換の場に立ち会ってくれたのは、同社の創始者で、会長の
William C. Sturgeon, 同氏の娘で社長の Ricia Hendrick女史, 編集長のRobert Caporale氏他の面々であった。

このときの様子が、[Elevator World] November 1996に掲載され、「エレベーター界」
19974月号に、“Law and Liability” (法と責任)として、
翻訳版が発行されているので以下にその一端を紹介する。

 

「我社(Elevator World Inc.)は、最近、急速に国際昇降機業界を包括する情報交換の中枢地、ハブ港的役割を担いつつある。
1996年初めに、先ず当社を訪問したのは、中国電梯協会のメンバーであった。
彼らの目的は、中国北京で開催を予定している「中国国際電梯展覧会」の管理・
運営の
Know-Howの研究、中国国内昇降機市場動向、
中国電梯協会の運営・組織等に関する情報の交換であった。

数ヵ月後には韓国エレベーター協会の幹部達が来訪した。
昇降機安全管理、昇降機検査、安全教育等に関する問題を討議した。

そしてごく最近、我社を訪れたのは、日本で唯一のNAECの加盟会社であり、日本市場を中心として活躍している昇降機会社のグループであった。
7月の18,19日の2日間に亘り、同グループと我社の幹部は、日米PL法、
一般乗客安全教育、危機管理等の件で、突っ込んだ情報交換・討議を行った。」

このグループの一員が私であり、今からちょうど12年も前のことである。

 

エレベーター・ワールド社再訪

昨年5月の半ば過ぎ、今回米国出張の行き先も固まりつつあった頃、
先ず再訪の主旨とこちらの訪問予定日ならびに先方の都合を確認する為に、
同社編集長の
Robert Caporale氏宛てにメールを入れた。
直ぐさま、再会を楽しみに待っている旨の返事が届いた。
前後して、再訪を予定していた米国昇降機業者協会、

NAEC
の、Teresa Shirley専務理事からも、
予定の日を空けて待っているとの返事があった。

Elevator World Inc.と日本エレベーター協会との間には、相互の掲載記事の活用、転写、
翻訳等について一般的な協定を結んでおり、翻訳に当たっては一々、
事前了解の取得は不要との暗黙の了解がある。
後にも示すとおり、
Elevator World Inc.は、各国のエレベーター協会・団体・組織に対して、
同誌掲載の記事の活用を常々奨励しているほどだ。

625日朝、Mobile空港 近くの Marriottホテルを出た我々を先ず襲ってきたのは、
南部特有の湿度の高い、
30度を越す、むっとする蒸し暑さであった。
タクシーの運転手に行き先の住所を示しながら「エレベーター・ワールド本社」へ
行くように指示した。12年前に同本社の訪問の経験がある私の記憶の中には、
避暑地軽井沢の高原に建つ年季の入った木造の山小屋風の佇まいの建物として
生きていたが、なかなか見つからなかった。
やがて、人の気配もまばらな、夏草が生い茂りリスや野生小動物たちが我がもの顔で
飛び回る閑静な住宅地の一画に、ひっそりとたたずむ、
あの木造平屋建ての本社の姿が現れた。

 

12年ぶりの再会

我々は約束の時間の10時少し前にEW本社に着いた。社長の秘書らしき少し大柄な中年
女性がにこやかに我々を迎え入れ、2階の役員会議室に案内してくれた。
確か12年前に訪問した時の本社は、全て木造平屋建ての造りだったはずで
二階の部分は無かったように記憶している。
同社の業容の拡大に伴い一部増設されたのかも知れない。

二階の会議室では、社長のRicia Hendrick女史(EW社を創設したWilliam  Sturgeon会長の娘)が、満面に笑みを浮かべながら我々にもろ手を差し伸べた。
自己紹介、名刺の交換をしている間に、編集長の
Robert Caporale氏と副社長のT.Bruce MacKinnon(社長の娘婿).の2人が二階に上がってきた。

副社長のMacKinnon氏とは初対面ながら、私には、何年来の知己のような親しみやすさを
備えた好男子に映った。

既に前もって我々のEW本社訪問の主旨は編集長に伝えておいたので、
早速、情報交換に移った。

 

◆ 我々が提供した情報内容

12年前の訪問時、彼らの興味を最も強く引いたのは「日本の昇降機業界の動向」に
関することであった。今では、世界最大の昇降機市場を中国に譲ってはいるが、
1999年頃までの日本の昇降機市場は、単一市場として、
米国を抜いて常に世界一の座にあったが、日本の昇降機業界の情報が
海外に出てゆくことは極めて少なかった。

そこで今回も、「エレベーター界」No.168,2007 10号で公表された
「平成18年度 昇降機台数調査報告」を「
2006 STATISTICS OF THE JAPAN ELEVATOR INDUSTRY」と題して英訳した資料を持参することにした。
概要説明は
A4サイズ6頁、図表・グラフでA3サイズ5頁 にわたる量となった。
EW社には略以下の順で説明することにした。

 

1.      Economy of Japan in 20062006年の日本経済)

1)  Economy Statistics (2006 Estimation)2006年日本経済指標)

2)  Economic Trend(日本経済傾向)

2.      Japan Elevator Industry(日本昇降機業界概略)

1).  New Installations(新設:新規設置台数)

2)  Maintenance(保守関連)

3)  ModernizationRenewal関連)

4)  Export(輸出台数推移)

3.      2006 Statistics of Japan Elevator Industry(日本昇降機台数統計)

1)  Classification by Elevator Models(機種による分類)

2)  Classification by Building Use(用途別分類)

3)  2006 Statistics and Analysis2006年度統計と分析)

 

EW側は、これほど高精度の「昇降機台数統計」が毎年JEAにより集計、分析、公表される国は、日本をおいて他には見当たらないと今回もしきりに感心していた。

これは、JEAが長年にわたり築きあげてきた努力の結集であり、会員会社相互間の協力体制であり、さらには所轄官庁・各行政の協調と理解の賜物ではないかと思う。

 

◆ EW側からの情報提供の概要

1.高層建物の寿命:50年から70年

米国一般の高層建築建物や昇降機の寿命は、凡そ何年くらいと見ているかとの質問に対して、答えは建物では50年から70年くらい。但し最近の建物はこれより寿命は短かくなる傾向にある由。日本でも鉄筋コンクリートつくりの建物の寿命は約60年とされているから、ほぼ同じと言える。

Empire State Buildingは1932年竣工で76年になる。
World Trading Center Twin Building亡き後、未だに健在振りを発揮している。
今回の出張の最後の訪問地、ニューヨークでは、既に閉館となっていたが
同ビルのロビーに立ち入った。内装・設備機器な
ど何年ぶりかの大改装中であった。

     

2.昇降機の寿命:20年から25年

昇降機のLife spanの考え方は日米とも相違はなく、建物が老朽化して取り壊されるまでの間、1〜3度の昇降機のModernization (Renewalとは欧米では言わない) が行われている
模様だ。

昇降機(機械室有り):20年から25年。
昇降機(機械室なし):15年くらい。

3.米国一般の保守・安全教育に関する考え方

@自家保守体制:大手大学施設、病院、大型ショッピング・モール、など複数社に
またがって納入され、また設置台数も纏っている場合は、
施設が独自に保守部門を抱え、そこで保守業務を行っている。
大手メーカーの保守マンや検査資格証をもったエンジニアーが、
ヘッドハンティングされる土壌がここにある。

Aメーカー系保守体制:国際空港など複数社にまたがってエレベーターや   
エスカレーターが稼働中のターミナルビルでは、納入メーカー自身が
自社製の機器を保守している場合もある。

B安全装置定期検査;定期検査基準はANSI (American National Standards Institute)
A.17.3
や州法や地方条例で細かく規定されており、実施行政機関は
AHJ(Authority Having Jurisdiction)が権限を持っている。

 

 

4.The Elevator World Technical Libraryの紹介

EW社は創設当初から、Sturgeon氏は自身の意向を実践しながら、特に独立系据付会社や
保守会社社員へのサービスとして、コンサルタントやエンジニアーの助けを借りながら
昇降機に関する情報を収集し「教材」を作成してきた。最近はその教材も充実し、
「ヴァーチャル書店」も完成した。そのことは
EW誌のみならずオンラインでも
紹介され始めている。

詳しくは、<www.elevatorbooks.com>を参照願う。

 

約3時間にわたる情報交換が終わり、EW本社近くに建つ民家を改造したという
落ち着いた雰囲気が漂う「レストラン」に案内された。
確か、ハリウッド映画の「風と共に去りぬ」に頻繁に出てきた外壁が白のペイントで
塗られた
Plantation Houseとも称される米国南部特有の木造ニ階建てであった。

 

 

Re-Call-Backs  Coming TogetherElevator World December 2007

 

「エレベーター・ワールド」誌の読者諸氏の中には、同誌を立ち上げた、
William C.Sturgeon会長*が毎月寄稿している、コラム「Re-Call-Backs
*に気づかれた方、或いは読まれた向きもおられるはずだ。
このコラムは
Sturgeon氏が、独立系保守会社の保守マンとして米国の昇降機業界の
一員となって以来、第一線を退くまでの米国昇降機業界の動静を辿る壮大な
回顧録の様相を呈していると、私は見る。
規格の統一から、業界の結束、安全性の向上の必要性を説き、米国昇降機工業会、
NEII(National Elevator Industry, Inc.),米国昇降機業者協会NAECNational Association of Elevator Contractors)等の設立の過程、「エレベーターワールド社」の創設、
つまり、このコラムを読めば米国の昇降機業界が辿ってきた足跡を
概観することが出来るのではないかと思う。
今回の我々の
EW社訪問時には同氏は残念ながら顔を見せてはくれなかった。
高齢のためかとも察せられた。
日本の昇降機業界との対比で読んで頂ければ幸いと思っている。

 

     William C. Sturgeon氏の紹介

今年91歳。1917New YorkBronxに生まれる。高校卒業と同時にUtica市の電力会社の
架線作業員となり、その後、
Montana州にある牧場の労働者を経て、
米陸軍通信部隊に入隊。
軍隊生活
5年間のあいだ一兵卒から大尉までの階級を経験。硫黄島占領を
果たした氏が所属する大隊の主たる任務は、マリアナ諸島と日本本土との
爆撃機を官制するレーダー基地の建設であった。
(廣島・長崎への原爆投下作戦、マンハッタン計画に関与したことになろうか。=訳者)

同氏は復員後、エレベーター独立系据付・保守会社の助手の仕事を得た。
30歳になった1947年には、Alabama, Mississippi, FloridaPanhandleの3州を営業領域とする
独立系据付・保守会社、
Mobile Elevator and Equipment Companyの社長になった。
1953年1月、この会社をMontgomery Elevator Company(現在は KONE Inc.)に売却後、
米国で最初の業界誌出版会社、「
Elevator World Inc.」を創設した。
以後
1997年、第一線から退くまでの約半世紀に亘って、
「エレベーター・ワールド」誌の出版に心血を注いだ。

 

     Re-Call-Backs:この英語は同氏の造語と思われる。保守マン時代、
顧客からの「呼び出し」(
Call-Backs)を受けた時代から現代に至る回顧録の意味を
持たせている。

以下に同氏が「Re-Call-Back」に寄稿した記事の抜粋訳を紹介する。

 

 

米国昇降機工業会、NEII(National Elevator Industry, Inc.)の誕生

例えば、シカゴの昇降機製造メーカー協会(Chicago Elevator Manufacturers’Association)のような地方の協会が、地域の「労働組合」と交渉を重ね、
やがてこの「組合」を同協会に吸収して、昇降機製造メーカー協会,
MEA
Manufacturers  Elevator Association)となり、
最終的には、米国昇降機工業会、 NEII (National Elevator Industry, Inc.)
組織変えし、現在に至っている。

一方、独立系据付会社・保守会社の団体は、これら製造メーカーの動きと歩調を
合わせながら会合を重ねていた。
ニューヨーク市労働組合連合(New York City Union Local)は、1894年に結成された。1904年には、11ヶ所の地域の労働組合が統合されて、米国昇降機据付・保守会社
労働組合、NUEC (National Union of Elevators Contractors)となった。
数年後、NUECはカナダの昇降機労働組合と共同戦線を張り、国際昇降機労働組合、IUEC,(International Union of Elevator Contractors)を結成した。

 

これら労働組合結成の目的は、昇降機製造メーカー会社との賃上げ交渉及び
労働条件向上の交渉にあった。労働組合組織が希望していたこれらの条件を効率的に
成し遂げる為に、製造メーカー協会も、全ての労働組合との間で交渉責任を
持つようになった。

現場作業員の教育は「組合」内での義務とは見做されていなかった。
一方、製造メーカー各社の教育に関する考え方は、“自社の従業員や現場作業員は、
自社の機器の据付現場で,充分にOJT(On-The-Job Training)が施される”
ものとしていた。

NEIIの役員人事を見る限りでは、米国に製造拠点を有する
世界の昇降機製造メーカー
で構成されていることが分る。

 

第二次世界大戦後の米国昇降機業界の動き

第二次大戦前の昇降機の殆どは、運転手付エレベーターであったので、
多くの運転手達が集まり、「労働組合」を結成していたが、彼らの交渉相手は、
ビル所有者で形成する地域特定の組織であった。

第二次大戦後の米国昇降機業界は、超高層ビル納めエレベーターの
モダニゼーション第一期と言うべき時期となり、大手製造メーカー各社は、
この対応に追われていた。
一方、軍隊生活からの離脱を望んでいた元軍人達の社会復帰が、新たな独立系
昇降機据付・保守会社の誕生を促すこととなった。
大手メーカーは同時に支店・営業所・代理店を通して、事業の拡大を狙っていた。
地方に自社の支店や営業所を構えることは大手メーカーにとってもきわめて
有利であり、かれらの殆どは第二次大戦後も地方に自社の支店・営業所を
維持し続けた。

全国的に販路を伸ばしたい二流の大手メーカー各社は、地方販売代理店を設立して、
彼らに独占的営業権を与える傾向にあった。

 

米国昇降機業者協会、
NAEC (National Association of Elevator Contractors)の誕生

“私自身1945年当時は、どこの組合にも協会にも属さない小さな保守会社に身を
置いていたが、5年間の軍隊生活から復帰した私は、エレベーターのことについては
殆ど何も知らなかった。
従って、昇降機事業に関するあらゆる分野に関する教育の必要性を痛切に感じていた。
何処で最高品質の昇降機器を買うことができるのか。
何処で品質のよいサービスを受けることが出来るのか。
何処で、教育を受けることが出来るのか等など。

私は、何処にも属さない一人ぼっちであった。同業の保守仲間の連中も知らなければ、
部品・装置・機器・機材のサプライヤーも知らなかった。
何処に何があるのかも知らなかった。これらに対する支援も無ければ答も持たない
独立系保守会社は、これから一体どうやって、生き延びて行けるのだろうか。
これが、当時の私の自問自答であった。
最初の動きは、国際昇降機業者組合、IUEC(International Union of Elevator Contractors) Local 124の創設に参加することであったが、当時は、この労働組合からも
「教育」は期待することが出来なかった。
モンゴメリー・エレベーター会社(Montgomery Elevator Company)の代理店の一社に
属していた1940年代後半、私は、私と同じような問題、悩み、希望を持っている
同業会社の小さなグループに声を掛けて「協会」の設立に向けて
打ち合わせを始めていた。             

そして、1950年、13社の独立系据付・保守会社の同意によって、米国昇降機業者協会、NAEC(National Association of Elevator Contractors)が創設された。
当然のことながら、創設当時のNAECは、広範な全米市場に対して昇降機業界の動向や
メッセージをどのようにして伝えて行くかと言う機能の面で問題を抱えていた。

 

 

エレベーター・ワールド社、Elevator World Inc.の創設

このような状況下にあった1953年に、私は「エレベーター・ワールド社」を
創設したのである。NAECが有する“価値・特典”を「エレベーター・ワールド誌」と
言う、媒体を通じて、全米にあまねく知らしめることにより理解を深めることに
粉骨砕身した。
そして、NAECへの加盟企業の数が次第に増大して行った。嬉しいことに、
機器、制御装置、部品の製造メーカーやサプライヤーなども続々と
メンバーとして加入し、彼らがNAECを通じて、加盟会社へ「教育」プログラムを
提供してくれるようになって来た。

かくして、独立系据付・保守会社と機器メーカーやサプライヤーは相互交流・相互理解を
深め、体制強化を図ることが出来た。一方、「エレベーターワールド誌」は、
米国市場・米国昇降機業界に対して、NAEC加盟メンバー相互の交流状況や
NAEC協会」の価値・利点・特典等について、毎月の出版を通して語り続けてきた。

 

 カナダ昇降機業者協会、
CECA,(Canadian Elevator Contractor Association)の設立

NAEC加盟企業の中で、数社のカナダの企業の積極的な活動が目立っていた。
数年後、これらのカナダ企業の数社が結集して、彼ら自身の「協会」の結成に
向けて動き出していた。

実は、当時NAECの専務理事であった Jack Faser氏と私とが、カナダに赴いて、
昇降機業者の協会設立について、運営手続きや機構についての講義・説明・説得に
約1週間ばかり費やしたことがあった。 そして1975年に、CECAが設立された。

 

 

米国昇降機安全委員会、
NAESA( National Association of Elevator Safety Authorities)

NAECは昇降機に関連するあらゆる分野、職務、階層からの参加・加盟を促してきた。
製造メーカー、機器サプライヤー、据付・保守会社、安全管理技師、
行政昇降機検査官、昇降機関連コンサルタントなどであった。

NAECの組織が拡充されるにつれて、年次総会教育プログラムの部分は、
多様な職業訓練教育として計画されるようになり、最終的には、加盟メンバーの
昇降機検査官グループの間から、NAECとは別組織の、“昇降機安全委員会”の
ような団体の組織化の必要性の声が上がり始めて来た。

そこで、NAECEWElevator World Inc.)とは共同で組織結成の為の資金援助や
新事務所等の設営資金を提供して支援することになった。
その結果、1971年に、米国昇降機安全委員会、NAESA
 (National Association of Elevator Safety Authorities)が組織された。
この組織の活動は逐一、「エレベーター・ワールド誌」等で報告してきた。
今日においても、昇降機検査官のみならず関係者の誰もが、この組織の
重要性を痛感しているところである。ここでは、誰もが訓練を受け、
安全教育を受け、そして、検査官の資格を取得することが出来るからである。

 

日本昇降機安全センター
The Japan Elevator Safety Center Foundation)との出会い

私が初めて日本を訪れた時に、日本昇降機安全センター(現在の財団法人 
日本建築設備・昇降機センター:Japan Building Equipment and Elevator
Center Foundation
、と思われる=訳者注)の安全教育に対する活動状況を
見学する機会に恵まれた。
それは、日本人乗客一般に対する、エレベーター・エスカレーターの安全な
乗り方の教育活動であった。いたく感銘を受けた私たちは、米国に帰国後、
米国内にも同様の安全教育組織を設立すべく青写真を描いては見たものの、
設立実現に当たっては、IUECを含む米国昇降機業界の全ての組織・協会の協力が
不可欠であることが思い知らされた。
さらに、昇降機業界を限られた特定期間内に、取りまとめることは
至難の業と思われた。

 

米国昇降機安全教育基金、EESF 
(Elevator Escalator Safety Foundation)の創設

当時のNAECの会長であった, Fred Farnsworth氏は、全米の昇降機の協会・組織の
会長や専務理事に対して、次回のNAEC年次総会において、
「重要事項の打ち合わせの協議」を行う旨の通達を行った。
具体的には、全米橋梁建設業界が嘗て行った、「資金集めの方法」に倣って、
米国昇降機安全教育基金、EESFElevator Escalator Safety Foundation)の
設立に向けて、NAEC 内で討議しようとするものであった。先ず最初に、EESF
“非営利基金団体”の形をとることが確認された。そして、大手メーカー各社
以下全ての昇降機関連企業、団体、協会、組織によって支持され、
EESF1990年に創設された。

本部は、Elevator World Inc.に隣接している。

 

1994年には、EESFの姉妹団体として、カナダ昇降機安全教育基金、
EESFC,(Elevator Escalator Safety Foundation Canada)が結成された。

1990年のEESF創設以来、 EESFの商標登録“Safe-T-Rider”の教育プログラムを
通じて、約4百万人以上に上る、小学校低学年層、保護者、教師への、
”昇降機の安全な乗り方“ 教育が施された。

 

おわりに

米国は経営理論、経済理論、技術革新、マーケティングの分野では常に世界の
先端を歩み続けてきたかに見えたが、昇降機業界、昇降機の品質、保守業務の面で
比較検討を試みた結果、米国の業界が必ずしも他国をリードしているとは言い難い。
米国はまた一方で、契約社会、訴訟社会とも言われている。顧客満足度、
CS(Customer Satisfaction),顧客関係管理CRM(Customer Relationship Management),
顧客中心主義 CO(Customer Oriented)などマーケッテング用語は全て米国から
もたらされた理論だが、今回の旅で面談したアメリカの人たちは、人懐こく、
素晴らしいく優しい人たちばかりであり、立派な理論の確かな実践者たちと
お見受けしたが、シカゴのダウンタウンで、ニューヨークの繁華街では、
首をかしげ、疑問を抱かざるを得ない場面に度々遭遇した。
これが今のアメリカの真実の姿ではないかとの思いを抱いて帰国した。

その直後、米国を発信基地とする、リーマンブラザースの倒産、サブプライム問題の
顕在化が世界経済の未曾有の悪化を招き、この100年あまり、
世界経済の牽引車であったビッグスリーの一角、ChryslerをはじめGMまでが
事実上の経営破綻に追い込まれ、国有化の憂き目に晒されている。
日本の金融界、経済界、製造業界も多大な打撃と損失を受け、青息吐息の状況に置かれている。

一日も早くこの泥沼から脱出したいと祈る昨今である。