茨専一期秘話                       

 

横須賀市中央目抜通りにて(平成20年11月20日写)
                         茨一機 小室 孝次郎

茨専一期生は1960年1月に入学しましたが、開校初年度ということで幅広い年齢層の向学心旺盛な
  若人が全国の事業所から集まってきて、集団生活をしながら学ぶ楽しい1年3ヶ月でありました。
教室での授業だけでなく、クラス対抗の球技大会や水泳大会、芸能祭、修学旅行、京専との交流会、
    座禅研修などが催されましたが、これらの行事に深い想い出を有しておられる方々も
少なくないと思います。
    半世紀近く過ぎた今、授業やこれらの行事を通して小生の脳裏に残っている幾つかの出来事を、
    大げさに『茨専一期秘話』と題して、当時を振り返って記して見たいと思います。
小生、茨専卒業後も継続して日立研究所に勤務しておりましたが、1970年5月に出向を
       命ぜられ、当地に移住いたしました。
      そして2年後、日立市にあった留守宅を原因不明の火災で全焼し、数年で帰れるであろうと
   残してきた全ての物を焼失してしまいました。
茨専時代の日誌やアルバムなども失ってしまい、当時の記録が無く、従ってここに記す話も
脳裏の片隅にある記憶だけで書いており、その詳細に錯誤があるかも知れない事を
予めご理解頂きたくお願い致します。

    茨専は、日立創立50周年記念行事の一環として、わが国の産学協同の魁として
開校したもので、当時各方面から注目を浴び、マスコミにも取り上げられた。
そして開校間もないある日、NHKが取材に来るということになり、
たまたま寮の委員長を拝命していた小生にTVインタビューすると言う話が
事前にあった。
当時TVに映るなどということは大変な事で、緊張の余り、
前夜は一睡もできない程であったが、幸か不幸か実際には授業や寮での自習風景を
映しただけで、インタビューは無く、ほっとした半面、残念だったという思いもあった。

    一期生は十分な教育環境の整備されていない状況で入学、従って教室、運動場、
寮などは全て日専校の借り物で、寮は6〜7名が一室に同居し、
自習などは廊下に並ぶ机で行う有様だった。
各事業所から選抜されてきた者達は皆向学心に燃え、試験の前などは夜通し廊下に
電灯が点っていた。小生の部屋にも年齢幅が7〜8歳もある7名が同居したが、
最年少のA氏は、我々が床に付いた後、よく電気スタンドを押入れの中へ
持ち込んで勉強していた。時々カリカリという音が聞こえるので、
以来『カリちゃん』というあだ名がつき、
皆からもそう言われて慕われた。卒業後職場に復帰しても向学心失われず、
弁理士試験に挑戦していると聞き及んだが、見事成就されたであろうか。

    英語の授業では、しばしば教師と生徒との英会話でのフリートーキングが行われたが、
機械2組の教室でのこの時間は流暢な英語を話すB氏の独壇場だった。
お蔭様でこちらはゆっくりと居眠りができ、時には熟睡して、
眼が覚めた時には先生が変わっていたという
ような恥ずかしい思い出もある。
いずれは国際的な仕事がしたいと言っていたB氏、卒業後どのような活躍をされたであろうか。

    修学旅行は秋田方面だった。秋田まで電車で行き、市内に一泊し、男鹿半島を
観光バスで一周した後、現地解散し、後は個人やグループで思い思いの旅行を楽しんだ。
秋田市内ではC氏、D氏とともにダンスホールに行こうということになり、
夜の市内を探訪し、ダンスホールを探し当てた。
そして連れ立って来ていた女性達を相手にタンゴ、ブルース、ワルツそして
ルンバと異郷の女性とのしばしのロマンを楽しんだ。
特にC氏のステップは軽やかで、秋田美人と意気が会い、ホールいっぱいに踊り回っていた。
そのC氏卒業後15年位して大病をされたと伝え聞いたが、
今どうして居られることだろうか。
当時ダンスは全盛で、日立にも幾つかのダンスホールがあったが、ナニワホールというところには
良く出かけて行った。

    C氏、E氏、F氏と小生のグループ旅行は秋田から田沢湖を回るコースだったが、
田沢湖駅近くの小さな旅館に宿を取った。
旅館にはそこの子供らしい14,5才の愛くるしい娘さんがいて、
少しばかり色気を振りまいたりして、人馴れしく秋田弁で何かと話しかけてきて、
楽しい夜の一時を過ごした。あの娘さん、旅館の女将さんになったか、
どんな人生を送られたことだろうか。
そして隣の部屋には同じ4人組の若い女性が宿泊しており、声を掛けてみようということに
なったが、その度胸ある者が無く終わってしまった。

    卒業間近には座禅研修があった。常陸太田市の山中の寺での2泊3日の修行だった。
当然ながら早朝の起床で、消灯時間も早く、日頃夜更かししている身には早寝は何とも
苦痛だった。第一夜、眠れぬままにいると、隣の布団に寝ていたG氏も同じ様子。
『眠れないね』ということから、一寸外に出てみようということになった。
住職に見つからないように寺を抜け出し、冬の夜の坂道を遠くの明かりを頼りに歩き出した。
そしてとうとう町外れに一軒の赤提灯を見つけ、一杯ということに相成った。
幾ばくかの罪悪感に捕らわれつつ飲む酒はこれがまた格別で、一杯のつもりが何杯かになり、
夜も更けてしまった。
店を出ると月の光もなく、辺りは真っ暗で寺への道も良く分からずに困っていると、
G氏、店のママさんから缶詰の空き缶とろうそくを借用、これに灯を点した。
その灯で山道を何とか照らし出し、やっとの思いで寺へたどり着き、誰にも見つからずに
無事布団に潜り込み安堵、眠りに付いた。卒業後G氏は日立製品開発に
並々ならぬ努力を傾注し、業績向上に多大の貢献をし、抜群の出世をしたことを追記したい。

    茨専の教務課には数名の若い女性が勤務していたが、皆若く美人揃いだった。
一期生には三、四名既婚者がいたが、あとは皆独身で、それぞれ気に掛けた人も
いたようだった。
そして貴公子H氏は卒業証書とともにその中の一人の美人I嬢を携えて工場復帰し、
皆の羨望の的となった。I嬢いやIさん、H氏共々お元気でお過ごしのことと思う。

    小生このような幸運には恵まれず、東京オリンピック(1964年)当時まで独身でいたが、
年末のある日、日立工場内の道路で、卒業後始めてバッタリと
同期生のJ氏(現在シニア支部活動に御尽力)に会った。
近況など話し合いながら『まだ独身』という話に、『紹介したい人がいる』ということになり、
間もなく市内の某喫茶店で会うことになった。
そして翌年4月J氏の司会で結婚式を挙げることになった。
以来一男二女に恵まれ、孫も3人となって共に元気で暮らしているが、
あの日J氏に会う偶然がなかったら今の連れ合いとの人生は無かったし、
今の子供や孫たちもこの世に存在していなかったと思うと、
改めて人生の不思議を感じ、J氏には深く感謝申し上げる次第である。

    日立銀座通りを一つ入った通りに“いずみ”という小さな飲み屋があった。
美人で美しい声のママさんは、ご主人が亡くなったあと化成の山崎工場を退職し、
店を開いたと聞いた。
このようなママさんの座っている店の雰囲気が良く、その上おでんが格別に美味しくて
前記G氏などと成沢の寮から良く出かけたが、卒業後は退勤後にしばしば寄り道をした。
時には山崎工場の独身女性達が来ていて話が弾んだりした。
ある時(独身時)、ママさんからその中の一人K嬢を紹介され、デートらしきこともしたが、
らなかった。K嬢素敵な相手とめぐり合ったことだろうか。

    小生2年という出向期間が延び、転属になって当地に永住することになったが、
日立市
内に家内の実家があり、毎年何度か訪れていた。暫らくはその折の夕暮れ時、
ぶらりと出かけて“いずみ”に寄ったりしたが、ママさんは綺麗で美声は衰えず、
おでんは相変わらず美味しく日立行きの楽しみの一つだった。
かなり老齢まで店を開いていたようだったが、もう7.8年は行っていない。
さすがに今はもう店には出ていないことだろう。

以上、拙文、読んで頂きありがとうございました。また文中の諸氏には事前の承諾なく
登場して頂きましたが、ご容赦の程願います。

小生、現在下記住所に居住していますが、丘の上からは浦賀港が一望できます。
この浦賀港は、沖合いに黒船が来航したことや、勝海舟が咸臨丸で渡米出航したことで
ご存知のことですが、幕末には浦賀造船所が建設されて、日本初の洋式軍艦鳳凰丸が
建造され、需来百数十年もの長きに亘って、造船国の一翼を担ってきました。
移り住んだ1975年当時は槌音高く響き、時折進水式の賑やかな歓声が聞こえ、
町には活気が漲っていました。

しかし、その後の造船不況で、見るのは補修や定検でドック入りする船ばかりとなり、
そして3年ほど前にはとうとう造船所の閉鎖が決まり、
今その解体作業が進められています。
日本最古のレンガ造りの1号ドックだけは記念に残されるとのことです。
町は日立銀座通りと同様、寂しさを増すばかりですが、
この栄枯盛衰を目の当たりにして、後期高齢者の仲間入りを1年後に控えて
頑張って生きています。

遠隔地ゆえシニア支部活動にも参加せず、もっぱらホームページで一期生を初めとした諸氏の
活躍を楽しく拝見しています。
ゴルフは当方も好きでしたので、ゴルフコンペの結果なども
興味深く拝見していますが、各位の一層のご精進と、
毎回定位置を占めている新支部長の益々の御奮闘を祈念いたします。

平成20年10月21日記

 現住所:横須賀市浦賀丘2−9−13
                 Tel: 046−843−4381                 (koj-kom@f8.dion.ne.jp 

 小室 孝次郎(茨一機)