日工専同窓会「Homepage」への投稿 July 8、07

                       July 22、07(修正)

            茨専3期、電気科   松本 勝(65歳)

“ 韓国からイラクへ、ソウルからバグダッドへ“

    

 私が成人式を迎えたのは、茨専在学中の昭和38年1月、日立市においてで

あった。同年3月に大阪営業所(当時)の職場に復帰した。

そのまま、大阪で国内営業に携わるか、或いは昔から漠然と抱いていた教師としての
生き方に変えるべきかどうか思案を巡らす日々が暫らく続いていた。

23歳の時、思い切って、大阪外大と神戸市立外国語大の2部を受験した。

運よく神戸の方に決まった。これからの日本は、より一層、国際化に拍車がかかり、
必然的に英語の必要性が高まって来ると見ていた。そこで、在学中に高校教諭の免許を
取っておけば、卒業と同時に、最終的な自己の進路を決めることが
出来るだろうと考えていた。

神戸外大2部を卒業したのは学生運動が、安保闘争から全共闘大学紛争へと拡大し、
小田実率いるべ平連もまだ活発な運動を展開していた
69年昭和44年)であった。

卒業記念として、当時は勤労学生の身では高嶺の花の「海外卒業旅行」を思い立った。
同行に賛同してくれた同級の
KN氏と高校時代からの友人、HY氏とで、
行き先について相談を繰り返した。

我々の条件は、@外国であること、A旅行経費が最安であること、
そして、B英語が使えること、の三つであった。

「沖縄」と「韓国」が候補に上がった。まだ未返還であった沖縄には、
茨専
3期で同級であったTT氏が、卒業とほぼ同時に日立を辞めて、
沖縄に渡り、
米軍基地に勤務しており、遊びに来ないかとの誘いが
着ていたが、沖縄は次回に回わすこととし、
「韓国」行きを決めた。

そのころの韓国は、ハンナラ党の元党首の朴槿惠(パク・ウネ)氏の
父君・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が軍事政権と言論統制を敷き、
北朝鮮と対峙し、一触即発の状況にあった。夜の12時以降は夜間通行
禁止令が出され、市民生活にも緊張感が支配していた。対日感情も最悪と言って
いいほどの暗黒の状況にあるとして、韓国行きは、危険すぎるぞと言う
忠告や中止説得も多々寄せられた。

しかし、5日間の韓国の旅は、我々3人それぞれに、日本国内での報道とは違った
韓国事情、韓国人の優しさ、逞しさ、激しさ等を与えてくれた。

帰国後、米不足で悩む韓国の市民生活の実態と、丸で正反対の古米・古々米の処理に
汲々とする日本の事態や、減反政策を採り続ける日本政治との対比について、
初めて朝日新聞「声」欄への投書を試みた。

掲載されたのが次の拙稿である。

 

「韓国にコメの輸出継続を望む」・・・吹田市・松本 勝(会社員・27)

 米価審議会の日が近づいた。だぶつく米を目の前にして、今年もまた

利益代表者の醜い論争に終始するのかと思うと、暗い気持ちにならざる

を得ない。

 日本の米生産高は、稲作技術の改良、肥料の改善、機械化の導入など

により、毎年不作を知らない豊作続きだ。この5月の連休に、隣の韓国

をかけ足で回ってきて驚いた。純粋の米のご飯がないのである。どんな

一流のホテルの食事にも、必ず麦の入ったご飯が出される。

 ソウル市内の食堂に立ち寄った時である。ライスを注文したのに、出

てきたのは、コウリャンと小豆をまぜて炊いた米の代用食だ。「これは

何ですか?」と尋ねたところ、「今日は水曜日で米食禁止の日です」と

言う。米食と言っても、韓国では麦のまじったそれであるが。

古米の値引き、飼料向け販売、米の別利用、水中貯蔵庫の実験など

で、頭を痛めている現政府の中に、果たしてどれだけの人が、この深刻

な韓国の食糧事情に通じているか、疑問と言う他はない。

 食料庁は今年3月に韓国及び沖縄と米の輸出契約を締結したという。

毎日の食卓に米のご飯があがるよう、食糧庁はじめ関係機関に、この輸出

継続を希望する。

 

 27歳に達していた私は神戸外大2部では目的の一つ、高校教諭の免許
を取得したが、新任教諭としては「高齢」のハンディキャップを考えて、
その道を暫し断念し、代案として東京本社の輸出部門への転勤を申し出た。

6年後の75年に漸く実現した。当時、仕事の上で海外と言えば、オイル
ブームに沸く湾岸諸国とそれに隣接する中近東諸国であった。

着任半年足らずで、矢継ぎ早に、UAE首長国連邦、クウェート、サウジアラビア、
エジプト、レバノン、カタール、バーレーン、パキスタン、インド
等への
出張を命じられ、それ以後、7年間の香港及び、2年間のジャカルタ
シンガポールの駐在を含み、約33年間を海外と向き合いながら過ごすことに
った。

その中でも印象深いプロジェクトの一つが、「イラク総合病院建設」であった。

 イラクの北から南に至る主要都市、13箇所に建設される全く同じ規模の
この「総合病院」は、設計施工、設備機器、医療機器納入、その後の保守
管理
事業も全て日本の企業が担うことになった。
所謂、今では、悪名高い
ODA事業の一環であった。
設備機器の一部を担当していた私はバグダットにも度々訪れた。

ところが、
19908月、フセイン政権下のイラク軍がクエートに侵攻し、
クエート全土を占領。
これに対して、米国を中心とする多国籍軍がイラクを空襲。
2001911日のアメリカ同時多発テロ事件が発生、米国は直ちに、
事件の首謀組織
アルカイダが潜むアフガニスタンを襲撃。

さらに、首班格のオサマ・ビン・ラデンを擁護し、悪の枢軸国の一つ、大量破壊兵器を
隠し持つとされるフセイン政権打倒を目指し、
20033月20日、米・英・部隊は
バクダッドへの侵攻を開始した。

 前小泉政権は、米英に追従する形で、「人道的復興支援」と「安全確保支援」を
柱とする特別法案、通称「イラク特措法」を成立させ、
非戦闘地域「サマワ」に限って、自衛隊の海外派兵の道をコジ開けた。

 本当にイラクの人道支援を唱えるならば、「非戦闘地域」で、イラク全人口の
1%しか住んでいない南部の町、「サマワ」に限定して、
果たして人道支援が出来るのであろうか。
また、もう少し事態が落ち着き、安全が確保されてから民間人が支援の手を
伸ばすべきではないかと言う、疑問を感じながら、投書したのが次の文で、
2004226日の朝日新聞「声」欄に再び掲載された。

 

「民間企業こそ待たれている」・  無職 松本 勝 牛久市 62歳)

 22日の朝刊で、日本企業が建設に携わったサマワ総合病院について、

「工事の欠陥を見つけられなかった」「自衛隊の専門は防衛であり、

(中略)必要なのは日本の民間企業だ」とイラク人の言葉を伝えていた。

 1980年代前半には近隣産油国と同様にイラクもインフラ整備の最中

で、北のモスールから南のバスラ近くのサマワに至る13カ所に、同じ

設計で同じ規模の「イラク総合病院」が日本企業と関連会社の手で建設さ

れた。私は昇降機設備の営業担当としてサマワ総合病院にもかかわっ

た。その後のイラン・イラク戦争、湾岸戦争、そして今回の米軍の侵攻

により、これら病院の多くはその機能を既に失っていると聞いている。

 イラク人口の約1%の20万人が住むサマワ地区が自衛隊の主た

る支援地区とされている。だが、イラクの人々が望むのは一部地域に

とどまることなく、国全体の民主的な復興・復旧ではないだろうか。

人道支援・復興活動には膨大な資金と人的投入が欠かせない。

このことを日本政府は再認識する必要があるだろう。日本の民間

企業の出番が待たれるところである。

韓国は88年のソウルオリンピックを経て、2002年のワールドカップ日韓共催を
経験、今や独立国として、堂々と世界の仲間入りを果たした。

韓流ブームで浮かれた日本の騒ぎを見ていると、38年前の日本と韓国の姿を
想起することは難しい。一方、イラクは、米軍が敗北を喫した「ベトナム化」の道へ
転がり落ち、更に、シーア派とスンニ派とのイスラム宗教内対立が権力闘争から、
殺戮闘争へと発展し、目下のところ収拾の目処も立たない。

かつて、縁あって訪れた国々から、一日も早く、諍いと紛争の火種が消えて、
人々の日常生活に平穏な日々が舞い戻ってくることを願うこの頃である。  

――以上――